なるものに、オレは行ったことがない。行ってみたいが、後ろめたい。だいいち、ジイさんいいトシして、と笑い者になるのがオチじゃないか。
しかし、昨日だかの新聞に載った事件は、メードのイメージを一新してくれる快挙だったねえ。大阪のカフェで働いていた女性が一方的に解雇され、泣き寝入りせずに告訴して和解金を勝ち取ったそうだ。
彼女、弁護士を雇わず、ネットで見つけたヒナ型をもとに自分で訴状を書いたというからエラい。近ごろの若いモンは、とケチをつけたがるトシ寄りにも、これほどしっかりした人間は少ないのではないか。
いまの若い人は苛酷な労働市場の中で、日々苦労しながら働いてるんだ。一見ふざけた格好をしていても、バブル期のような浮かれ気分では生きていけるわけがない。
数年前も、キャバクラで稼いだカネを元手に歌舞伎町で小さなクリーニング店を開き、もとの同僚を顧客にして働いている若い女性がテレビで紹介された。収入はキャバクラ時代の4分の1になったけど、やりがいはずっとあります、と言っていた。
そういえば、トミー・リー・ジョーンズが宇宙人を演じるCMシリーズ、メード喫茶編だけおもしろかったね。メードを演じた女性タレントが、しゃべり方も仕種も文句なしの名演で。
てのは、明治以来の日本政府のスローガンだったが、トルコも似たようなもんらしいね。昨夜のNスペ《沸騰都市イスタンブール》によると、政教分離の国是に反して台頭してきたイスラーム政党も、EU加盟には大賛成なんだと。経済的な理由だろうが。
国民の所得格差が大きいトルコは、イスタンブール周辺にスラム街が広がっている。町の人口の半分はスラムの住民だそうだ。当局は彼らのバラックをブルドーザーで壊し、住民を高層団地へ住み替えさせる。
というと聞こえはいいが、当局者の口から出てくるのは「ヨーロッパの街にふさわしい美観にしたい」の一点張り。住民のために、という言葉は一言も出てこなかった。団地へ移る権利があるのは家を持っていた住民だけで、間借り人は追い出されるだけである。
弱者・困窮者を救済して問題を根本から解決するんじゃなく、切り捨てて解決を装う。いずこも同じだね。
中東問題に関してオレは常にアラブ・サイドだったけど、近ごろわが世の春を謳歌する産油国の振る舞いを見てると、信念がぐらつくね。ドバイじゃ環境破壊もなんのその、莫大なオイルマネーを使って海中に奇抜な格好の人工島を作り、超豪華な住宅・リゾート地にしてる。アブダビじゃ、政府ファンドが90兆近い資金を投機で運用してる。サウジは原油をかたくなに増産しようとしない。もちろん、価格を下げたくないからだ。
彼らの自己チュー政策が、オイルだけじゃなく食料飼料の価格暴騰の一因を作っているのは間違いない。アフリカや南アジアで子供たちが毎日餓死している現実に、彼らの責任がないとは絶対に言えない。
大体、投機でカネを儲けるなんて、アッラーの教えに反するんじゃないの?
録画したままだった黒澤の《静かなる決闘》を、やっと見る。黒澤自身が回想録の中で、演出しながら感動でガタガタ震えた、と書いている作品だが、めったに見る機会がなかった。テレビでまともに放送されたのは、ひょっとするとこれが初めてかも。セリフに差別用語がゾロゾロ出てくるもんね。
しかしこれ、いくら性欲が罪悪視されてた時代の映画とはいえ、あんまり現実離れしてません? 三船演じるところの、どう見ても30近い男が結婚してないから童貞でガマンしてるって、清潔というより不気味。あたしゃ感動する前に失笑してしまったよ。
そこへもってきて、黒澤映画特有の悲憤慷慨型大熱演と声涙ともにくだる大演説。どこが「静か」なんだよ。《七人の侍》だったか、「ドタバタ悲劇」と中村とうよう氏がコキ下ろしていたが、こういう映画を見ると、もっともだあと思うね。やたら大げさな身振りだけで中身がうつろだもん。
そのあとで見た成瀬己喜男の《あらくれ》の、なんときめ細やかでリアリティに富むことよ。描写が肩を怒らせてないからいい。オレの嫌いな高峰秀子も、ここでは好演。
しかしNHKさんよ、黒澤と成瀬ばかりやってないで、豊田四郎をもっとやってくれよ。特に《甘い汗》(京マチ子が超名演!)の再放送を。DVD出てないんだから。
米の北朝鮮テロ国家指定解除に、フクダ某が問題発言。「いいことだと思いますよ。最大の問題は北朝鮮の核開発なんですから」
拉致被害者の家族にすれば、神経を逆なでされるような発言だろうが、フクダの言うことは正しいとオレは思うね。核問題と拉致事件と、解決すべき点でどっちの方が緊急度が高いか、言うまでもあるまい。
大体、拉致事件をアメリカ頼みで解決しようとしてきたこと自体がおかしい。あれは本来、日本が自力で解決すべき問題だったのだ。前任のアベ某がやったような力ずくの制裁ではなく、粘り強い交渉によって。あのキチガイ国家相手に、どれほど大変な交渉でも。
それなのに日本の外務省と来たら、拉致問題など存在しないと、当の金正日が認めるまで言ってたんだよ。まるで北朝鮮の出先機関みたいに。
アメリカが日本のために動いてくれる、とか思ったら大間違いで、どこの国でも自国の利益が最優先なのだ。そんな当たり前のことに外務省はワザと目をつむって、日本の国益をそこなうようなことばかりやってる。
たとえば80年代の末、日本は非常に高度な能力のOS、トロンを開発していたのだが、Windowsの開発途上だったアメリカに気兼ねしてパソコンへの導入を取り止めた。あのまま続けてれば、いまごろはWindowsじゃなくトロンが世界のデファクト・スタンダードになっていたはずなのに。
フクダはまた、集団的自衛権を容認するよう求めるナントカ懇談会の解散を決めた。これも、まっとうな判断だよね。懇談会を作ったのは、単細胞丸出しのアベだが、少なくともフクダの方が健全な常識をわきまえてるってことだ。
フクダの同志のヤマザキ某のことを、アベは「百害あって利権あり」などと言ってるそうだが、バカはレトリックも支離滅裂だね。あいつが突如辞任したのは、あまりのアタマの悪さにアメリカがあきれてツメ腹を切らせたんだって噂だけど、普段アメリカの言いなりだから抵抗できなかった?
下記《Rembetika》のライナーによると、希土戦争後の住民交換でアナトリアからギリシャに移住してきたギリシャ正教徒の多くが落ち着いた先の一つが、ピレウスのコッキニア地区だったそうだ。コッキニアって、ヨルゴス・ダラーラスの生まれ故郷なんだよね。
そうか、ダラーラスって引き揚げ組の子孫だったんだ。そういえば、コブシを交えながら流れるようにうたう彼のスタイルって、1930年代の名歌手アンドニス・ダルガース(イスタンブール生まれ)に似てるよなあ。ピレウス派の歌手(マルコス・ヴァンヴァカーリスとか)は、コブシなんか全然回さないもの。
スミュルナ派の伝統が時空を超えて現代ギリシャ最高の歌手に受け継がれている、と考えると、やっぱり音楽って(美術工芸も)、一時的な国家体制なんかよりずっと強いもんだと実感する。
オドロキのCDボックスである。ギリシャでもよっぽどの物好きしか聴かないレンベーティカが、アメリカと違ってギリシャ移民のコミュニティのないイギリスで、しかも4枚組2巻という規模で発売されたんだから。
それもワシリス・ツィツァーニスのような行儀のいい西欧かぶれの曲は、ほんのお義理程度にとどめて、大半は背徳と脱モラルの裏社会の歌なんだから、うれしいじゃありませんか。
特に印象的なのは、ギリシャの同種コンピレーションと違い、引き揚げ組のスミュルナ派と国内育ちのピレウス派とを分けてコンパイルしてあること。おかげで、ピレウス派のレンベーティカが50年代の左岸派シャンソンや60年代フォーク同様に、芸能派に対するアマチュアのアンチテーゼだったことがハッキリする。
ギリシャの裏社会の歌は1937年以後、独裁政権に徹底的に弾圧されたそうだ。良質の音源がほとんど残っていないのは、そのせいらしい。レコードは割られ、金属原盤は溶かされてしまったのだろう。ファッショ体制のやることだ、戦時中の日本同様に、禁じられた音楽のレコードなんか持っていたら憲兵にしょっ引かれたんじゃないか。
発売元のJSP Recordsは普段、古いブルースやカントリーを出している会社らしいが、狂い咲き的にこんなアンソロジーを出したのは魔が差した? それとも、コンパイラーの熱意に負けた? ともあれ、単発で終わらず第2巻を発売したからには、なんとかソロバンが合ったものと見える。めでたい限りだ。音質も、貧しいながらギリシャの復刻盤よりは聴きやすい。
元警察官僚のおっさんがブチあげていた。「通り魔ってのは防ぎようがありませんからね。これはもう、こういう人間が出てこないように社会を変えなきゃいけませんね。教育を変えるとか」
ほらな。そう来るだろうと思ったよ。保守タカ派ってのは、あらゆる機会をとらえて我田引水をやる。道徳教育をやれ、とでも言う気か。てめーには全然責任がないような顔で。まったく油断も隙もない。
社会を変えなアカンのは事実。だが、変えなきゃなんないのは教育よりも、低賃金とピンハネの派遣会社を肥え太らせ、貧富の格差拡大を放置している行政の方だろうが。
先の見えない閉塞感に落ち込んだら、どんな結構な教育を受けた人間でも破れかぶれになる。日雇い派遣でやっと食いつないでいるネットカフェ難民やホームレスは、みんな通り魔予備軍だよ。
シリーズ11点、一挙登場。聴いたことのないアルバムが随分あると思ったら、10年前は発売されなかったものがかなりあるらしい。初めて聴いた中では断然、右のオマーラがよかった。うまい歌、品のいいメロディに目のない向きには絶品のアルバムだ。
録音当時、彼女はすでに70を超えていたから、スローなボレーロやグァヒーラではさすがにヴィブラートが目立つが、発声にも表情にも無理な力みがないので耳障りにならない。あくまで優しく温かく、後ろからそおっと肩を抱いてくれるような歌である。
音楽は内容だ、音質じゃない、という意見もあるだろうが、それは必ずしも正しくない。オーディオマニアの行きすぎた音へのこだわりにはオレも付き合いかねるが、本来の音質が十全に生かされないのでは、いい音楽も死んでしまう。
シリーズ全点の発売とオリジナルな音質の回復で、《ブエナ・ビスタ》シリーズは今回初めて完全な形で紹介されたと言えるのではないか。恒例『世界の音楽を聞く』レコード・コンサート@渋谷・国境の南は、次回この《ブエナ・ビスタ》シリーズを特集します。お楽しみに。
すでに人気作家らしいね。知らなかった。遅まきながら、右の本を読んでみたら、これがメチャクチャおもしろい。大胆な省略法が効いていて、想像力を止めどなく刺激する。小説の醍醐味だ。
連作6編中5編で語り手を務める青年が、最後の1編で突如、廃人同様の世捨て人になってしまい、主人公の座を弟に譲る。説明はまったくないのだが、なぜかその心理の動きが読んでいてストンと腑に落ちる。すごい筆力である。
すっかり気に入って、他の本もごっそり買い込んだ。ほとんどが文庫化されているので助かる。しかし、初期作品はやっぱりダメ。省略の思い切りが悪いし、もったいぶるかと思えば妙にくどい説明文が割り込んできたりする。
それが芥川賞受賞以後、みるみる上達する。ほめられれば、自信がつく。自信がつくと、眠っていた才能も目を覚ます。同じ都会風俗を扱っても、97年の「最後の息子」と5年後の「パレード」じゃ、読ませる力が段違いだ。
ところで、初期作品中とりわけつまらない「Water」を、インディ系のプロデューサーが作者自身のメガフォンで映画化したんだってね。ロスのホテルで読んで一気に魅了された、というようなことをサイトに書いているが、映画関係者の小説の読み方って、オレとは違ってるんだろうか。
千葉では、32の男が小学生に笑われたと逆上し、殺意をもって児童の列に車で突っ込む。32といや、小学生の父親になっていてもおかしくないトシだよ。
福岡じゃ、41の女が自分はタバコを吸わないが、15歳の次男が吸うからとタスポを取得。
これって、例外的現象? この国のオトナたちは、全体としてひどく幼児化してるんじゃないだろうか。税金でカラオケ買う官僚や、思いつき銀行破綻の尻ぬぐいを都民にさせる政治家を含めて。
ご親切なお言葉、ありがとうございます。不... read more
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