渋谷名物・ヘンな3ジジ主宰の好例レコード・コンサート、次回のお題は
「世界のガール・グループ」
です。古今東西、音楽ファン(誰を?)を魅了してやまないガール・グループの数々。そのルーツはいずこに。どうちがうデュオとガール・グループ。こんなところにもガール・グループが。などなど。世界のガール・グループの多様性と魅力に国境トリオが迫ります。
新型インフルの猛威もいっとき忘れ、秋の午後をまったりお過ごしください。
11月7日(土) 3:30PM開場 4:00PM開始
会費1000円(1ドリンクつき)
国境の南
東京都渋谷区道玄坂2-25-5 島田ビル3F-D
TEL/FAX: 03-3463-5381
クルド人監督が作ったクルド人の映画。録画したまま気乗りがしなくてしばらく放ってあったのだが、暇つぶしに見始めたら居ずまいを正す気分になった。
舞台は、イラク北部クルディスタンの主都キルクークの荒れ果てたサッカー・スタジアム。サダム・フセイン時代に故郷を追われたクルド人難民が、グラウンドに掘っ立て小屋を建てて住み着いている。この設定は現実のものらしい。
主人公の青年も難民の一人で、弟は地雷にやられて片足がない。役所からは毎日のように、不法占拠だから立ち退くようにと催促が来る。そんな中で青年は、民族宥和のためにクルド人とアラブ人とトルコ人のチームによるサッカーの親善試合を企て、実現に漕ぎつける。
と書くと、ボクたち逆境の中でも前向きに生きてんのよ~、みたいなハリウッド流楽天主義を連想してしまうが、ドラマの運びは決してそうならない。
試合が始まってもチーム同士もめ続け、むしろ民族間の相互不信がより顕わになる。善意の青年は民族エゴに振り回され、悲劇的な運命をたどりだす。
ほとんどモノクロに近い画面の禁欲的な演出がすごい。感情的描写を排し、寡黙な語り口で現在のイラクの、それもクルド人たちが置かれた状況の過酷さを鮮明に浮かび上がらせる。
芝の1本も生えていないサッカー場に毀れた車の残骸が転がっていたり、試合中に突如、放れ駒が走り込んできたり、等々の描写がイラクのいまを生々しく実感させる。
観ているうちに《自転車泥棒》《無防備都市》など、敗戦直後の荒廃したイタリア社会が生み出した名画を思い出した。この《僕たちのキックオフ》という映画も、現実社会の歪みから絞り出されたような秀作だ。甘っちょろい邦題は、まったく内容につり合わない。
カメイ某、着々とキバを剥いてるね。こいつに鼻ヅラ取られて民主が自民化への道を歩き始めてる。多分オザワともタッグを組んでるんだろう。ハトヤマは、なんでこんなに弱腰なのか、やっぱり5年前のホリエモンの転落が効いてんのかね。
かつて郵政選挙で刺客にホリエモンを送り込まれたカメイは当選後、徹底的に復讐した。完膚なきまでにカタキを叩きのめした。警察官僚上がりだからできたんだ、と当時ハマコーがテレビでほのめかしていた。
あれで大抵の政治家が震え上がったらしい。スネに疵の全然ない政治家なんか、まずいないもんなあ。コイズミがあれだけ強気だったのは、珍しく身辺がきれいだったからだろう。別に彼を懐かしむワケじゃないが。
一方、こないだ来日したゲイツ国防長官は、日本が米国抜きで中国と仲良くすることは許さん、と脅していったらしい。なんかオバーマ政権も正体見たりって感じだが、いまやベトナム辺りもドルを見捨てて人民元に乗り換えようって時代に、義理立てなんかしてられっかよ。
国宝? あほらし。あんな日本文化とは何の関係もない、西洋コンプレックス丸出しの建築が、なんぼのものだというんだよ。その気恥ずかしさにおいて往年の鹿鳴館、現在の恵比寿ガーデンプレイスといい勝負ではないか。
あそこは昔、国会図書館だったからオレなんか学生時代、嫌になるぐらいかよったもんだ。改装する前で、あんまりきれいじゃなかったせいもあるが、中に入れたからって別に感激も何もしなかったね。だれでもいつでも入れたし。学生がつけたアダ名は「貧乏国のヴェルサイユ」。
中で調べものをしてたら、地方から上京して来た観光おばはん軍団がドタバタ足音高く行進したりして、彼女らも恐縮してる風情じゃ全然なかった。しかし裏を返せば、あのころの日本て、それだけ民主的だったってことだよなあ。どこか権威をセセラ笑う空気があって。権威の方も幾分へりくだっていて。わずか40年前のことなんだが。
前原大臣、相変わらず物議を醸しとるね。いや~、結構結構。以前オレはこの人が嫌いで、八ッ場ダム問題じゃせっかちすぎると悪口を書いた。今朝の天声人語も似たようなことを書いてるが、しかし、彼のやることを肯定的な目で見ると違った見方ができる。
この人、対立勢力を挑発してるんだよ。これ、ワザとだよ。一方的な結論の公表で挑発して怒らせて、守旧派のレッテルを貼ってる。これって、かつて小泉純一郎が採ったのと同じ手法じゃん。反対意見にことごとく抵抗勢力のレッテルを貼って悪役にしてしまってる。
そういや、事前に根回しして風波を立てず、てのは自公政権のやり方だもんな。そんなの継承したら、改革が目に見えなくなる。風波が高ければ高いほど、政権交代の効果が具体的に見える。
つまり、千葉のモリタなんぞという単細胞が目をつり上げて怒れば怒るほど前原の思う壺ってワケだ。ま、モリタも一晩、寝ないで考えてそのことに気がついたんだろうね。前夜と一変、にこやかに和解を演技してる。くっせー芝居。もともと三流役者だったけど。
録画しておいたのを、今日やっと見る。『大統領の理髪師』とか『おばあちゃんの家』とか、家族の絆を描くのがうまい韓国映画だから期待したが、最後でハズされた。
前半はフツーに、というか、いい感じで展開するのだが、中盤にミステリー紛いのドンデン返しを仕掛けてあり、これが作品の底を浅くしている。多分、フツーの親子情愛お涙頂戴なんか作ってたまるか、と監督(チャン・ジン)は考えたんだろうけど、勇み足だね。若気の至り。
劇中、キーパーソンの一人の高校生が突然死んでしまう設定なのだが、その死因が明らかにされない。病気なのは青い顔を見りゃ分かるだろう、病名なんざどうでもいい、ってことなんだろうが、観客にはそれじゃ通らんわな。
高校生が脳卒中起こしたり心臓マヒ患ったりって、あんまりあることじゃないから、見る側に消化不良のわだかまりが残る。この辺りもやっぱ、若気の至りだね。全体としちゃ、いい映画なんだけど。
あと、死んだ高校生の級友たちが力を合わせてボケの来た祖母の世話をするシーンがあるが、儒教の伝統の強い韓国では、いまでもこんな習俗が生きてるんだろうか。あるいは、廃れていくよき伝統への挽歌かな。
現国交相のマエハラってオレは嫌いで(理由はウィキペディア参照)、かつて悪口を書いたりした。ツジモトキヨミを副大臣にしたときまでは、なに人気取りやってんだ、ぐらいに思ってた(ツジモトなんて田中真紀子とレベル変わんないじゃん)。しかし間違ってました。この人、本気だよ。
あくまで腰は低いが、断固、節を貫いてるね。タカ派体質がプラスに機能してる? ともあれ、角栄以来30有余年の土建屋政治を変えようとしてるよ。地方ボスの晴れ舞台、道路建設促進決起集会に国交省職員の出席を禁止したと聞くに及んで、オレは断然支持に回ることにした。前原さん、これまでゴメンなさい。
ま、今後も変節しないよう、もしくは土建屋の圧力に負けないよう、切に祈るよ。体に気をつけてね。あいつらホント、ヤクザだから。
しかし政治家って、どうしてああ口のひん曲がったのが多いんだ?
あったりまえじゃん。ナイフが殺人の凶器になったからって、ナイフの製造者を有罪にできるのかよ。
検察としちゃ、ファイル交換からDVDのコピープロテクト破りまでネットは著作権侵害の花盛りだから、一罰百戒のつもりだったんだろうけど、スケープゴートの選び方が間違ってたわな。
それはともかく、こういう問題になると狂ったように著作権違反がどうのこうのと説教したがるヤカラがネットの掲示板に氾濫する。あれ、どういうのかね。
著作権保護をむやみに延長すると文化の疲弊を来すのは“ミッキーマウス法”のアメリカですでに現実になってるが(ディズニーは文化の担い手では全然なく、文化を食い物にしている企業の典型だ)、著作権、著作権と騒ぎ立てて正義の騎士にでもなったつもりかね。
ひところ、あらゆる出版物からシラミ潰しに差別用語を洗い出して版元に抗議する病的なマニアが横行したが、あれと同じだね。
こういうヤツらに限って、だれそれは部落出身だ在日だ、などと人権侵害の書き込をやる。
てのは、ご存じ日本で大人気の甘ったるいピアノ曲である。セミ・セレブ家庭の女の子がおさらい会で弾く曲というと、これに相場が決まってる。
昔、まだ日本人が何でもアメリカ文化をありがたがってたころ、ワルター・ハウツィヒという日本国外ではだれも知らないアメリカ人ピアニストが日本で録音して、ひばりの歌謡曲以上の大ヒットにした。
そのときの録音エンジニアに言わせると、たかだか5分足らずの超やさしい曲なのだが、どうしてもミスなしに完奏することができず、仕方がないから何本ものテイクを継ぎ接ぎしてやっと発売に漕ぎつけたそうだ。
ンなことは、どうでもよろしい。テープの継ぎ接ぎなんて、ポップスの録音じゃ当たり前だ。それより、今日の夕方のニュースでNHKがこの曲にまつわるエピソードを放送していたので、おや、と思った。
曲は150年前にポーランドの少女が作曲した。しかし、ポーランド人はだれも〈乙女の祈り〉なんて知らない。“祈り”が宗教ぽくて、共産党のイデオロギーに合わないから抹殺されたんだそうだ。
ありそうな話だよね。40~50年代の日本で左翼青年が愛唱した〈スリコ〉というグルジア民謡も、ロシアじゃフルシチョフのスターリン(グルジア出身)批判以後、急に歌われなくなったっていうし。
でもさあ、なんでいまその話題なワケ? なんか作為を感じるんだよね。いま日本で共産党が支持を伸ばしてるそうだけどさあ。オレは支持してないけど。
あんなセンチで退屈な曲、別に弾圧しなくたって普通は忘れられんじゃないの? 60年代に来日したポーランドの名ピアニスト、ハリナ・チェルニー=ステファンスカは日本で〈乙女の祈り〉の録音を求められて、こんな幼稚な曲弾いたら名が廃る、と一蹴したもんね。